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ブログ

火, 2009-03-31 19:49 | saposute

相変わらずご無沙汰しております、スタッフブログです。
本日、スタッフ松田のもとに、「良かったらブログに」ということで文章を頂きましたので、原文のまま貼り付けます。
野球が大好きな、男性が投稿してくれました。
若者の声を社会に発信していくこともサポステの役割ですので、
あまりに個人的な文章や誰かを攻撃したりするような文章でなければ、
できるかぎり掲載していきたいと思っています。

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WBC日本連覇見事でした!
昨年の北京五輪の惨敗を跳ね返し、
優勝に導いた原監督は本当良くやってくれました。
今回のWBCを見てあらためて思った事は、リーダーが変われば組織は
生まれ変わるという事です。監督、コーチが選手を信頼し、起用すれば
そこからチームワークが生まれ、一丸になるということです。
これはサポートステーションのプログラムにも通じる物があると思いました。
塞ぎ込み自信を失った人達も、そこの主導者によっては前向きな気持ちが芽生え、新しい自分を発見でき、そして前に進める事ができる。
たった1人の信用できるリーダー、主導者の存在で、何かが大きく変化し物凄い結果、力が生れるという事。
アメリカもオバマ大統領の誕生で大きな変化への希望が期待されています。それに比べ日本は与野党とも信頼を失い、国民の政治への失望感は大きくなるばかりです。
期待できるリーダー、主導者1人の存在で国も、社会も、人も大きく変わる可能性があるのです。
だからこそこれを見てる人達もそういう存在に出会えばきっと新しい何かが見つかるはずです。
僕は、今回のWBCを見てそう感じました。

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以上、原文まま。
※今後も含めて、若者の投稿内容に関しましては、あくまで個人の意見です。

月, 2009-03-16 11:59 | saposute

~子どもの頃、美味しいおやつを兄弟に取られないように、隠して食べた経験はありませんか?~ 

すっかりご無沙汰してしまいました、不定期更新のスタッフブログです。

先日、某高校にてキャリアカウンセリング実施中に、生徒と「大人と子どもの境目」のような話になりました。
その中で、美味しいものを食べたときに、子どもの頃は誰にもあげたくなかったのに、いつの間にか「これは○○(友人・家族・恋人など)にも食べさせてあげたい!」と思うようになった。それが大人との境目かもねぇ。
なんていう話になりました。

喜びを分かち合いたいと思えるようになっていく過程や、分かち合いたいと思える人に出会っていく過程、それが大人なのかもね、なんてその生徒と意気投合したわけですが、そこにあるのは、“分けてあげる”という施しの気持ちではなく、この喜びを一緒に味わいたい、というまさに大人の感覚です。

昨今、よく新聞に登場するワークシェアリングも、こういう視点で見ると少し面白いかも知れませんね。
美味しいお菓子と同じように、働き口(働く喜びや賃金)も、分量には限りがあって分け合うと減ってしまいます。
それでも自分のお菓子を分け合いたいと思える相手は・・・
家族、友人、恋人、同世代の人、同じ地域の人、日本人、地球人、はたまた未来の自分、空腹な人、欲しがっていない人、などなど、どんな範囲なのでしょうか。

働くことが喜びなら、その喜びを大勢の人と分かち合いたいと思う。働くことが苦しみや義務ならば、働いていない人を責めたくなる。
皆さんにとって、働くこととは、何でしょうか?

スタッフ松田 記

木, 2009-02-26 14:03 | saposute

先週、全国77箇所のサポステのうち、先進的な取り組みをしている15箇所が集まって、どんなプログラムを行っているかの報告会が東京で行われました。
私も参加してきたのですが、バラエティに富んだ15事例というよりは、だいたいどこのサポステも共通した考え方に沿って実施しているんだなぁという印象でした。

おおまかな流れとしては、
①家庭訪問等により、若者と出会う。

②サポステに来たら、まずは敷居の低いプログラムで対人関係に慣れる。

③実際の企業等にてトレーニングを行い、自信と意欲を高める。

④就職活動・就職へとつなげる

といった感じでプログラムが組まれていて、
①に強いところや、②や③に特徴的な仕組みを持っているところ、④のハローワーク等と強いパイプを持っているところなどが、それぞれのノウハウを提供しあうといった会合でした。
(①の家庭訪問を実施しているところは全国でもまだ少なく、私たち北海道サポステも今のところは行っていません。)

また、どこのサポステでも言っていたのが、実施3年目になって就職に結びつくケースが増えてきたということです。関わり始めてから1年以上経って、本人に変化が見られたということも多いようです。
新たなノウハウにもアンテナを張りつつ、やはり地道な取り組みの継続が一番の近道のようですね。 

スタッフ松田 記

火, 2009-02-03 19:29 | saposute

ひっそりと続けているブログに、なんとリアクションのメールが届きました。
ありがとうございます!
さっそく、ご本人の許可もいただいたうえで、全文を貼り付けますので、お読みください。
ちなみに、送ってくださった方は20代の女性、ご自身のことを「ニート」と呼んでらっしゃいます。(と紹介することも許可をもらっています、念のため)

●自己責任論
ブログでは、「こんな生きづらい・不景気な社会にしたのも、若者自身にも責任がある」という意見でしたよね。
私は、そこまで広い視野ではないですが、若者自己責任論に賛成です。
その殆どが正しいことを言ってるのに、近頃の派遣切りなどで「自己責任論はかわいそう」的な意見が増えて嫌になりますよね…。
社会のせいではなく、日頃の自分たちの行動・選択の結果必然的に起こった事。
あるいは、乗り越えるべき試練。
ニートにせよ、派遣切りにせよ、こうなるように自分で仕向けてきただけに過ぎない。
自分の人生は全て自己責任。誰のせいにもできないし、してはいけない。

●正規雇用・非正規雇用
正規雇用は、「安定だが仕事は曖昧・会社の言いなり」
非正規雇用は、「自由で明確な仕事だが、キャリア形成は出来ないし、生活の安全は保証されない」。
どちらが良いかと言われれば当然正規雇用のほうですし、我々の目指すべきところでもある。
しかし、どんなに熱心に「椅子取りゲーム」をやっても、「正社員」の椅子に座れるのはほんの一握り。
あぶれた人は仕方なしに「非正規雇用」の椅子に座る。
でも、ここで「単に椅子の数が足りなかったから」と嘆くのは間違い。
どうしたら椅子に座れるのか。
もしかしたら、「椅子取りゲーム」に参加していないのに、「正社員」の椅子に座りたい…という虫の良いことを言ってないだろうか。
目の前に空いた椅子があるからといって、とりあえず「非正規雇用」の椅子に座って寛いでないだろうか。

●学校と仕事
「卒業後に就職が決まらなかった人は、こんな負け組人生を送る羽目になります。だから皆さん頑張りましょう!!」というのが、学生の就活。
しかし、私がいつも思うのは「負け組の人は、どうすればいいの?」という疑問。
返ってくる解答が、「そんな事を考えてる暇があれば、とにかく頑張りなさい!!」ということばかり。
誰も答えちゃいない。
こんな状態ではマズいと思う。
気休め的な励ましではなく、「負け組でも、こういうルートがあるよ」と様々な選択肢や道筋を提示してほしい…といつも思う。

●生きるために
「食べていくため、生きていくためには、どんなに嫌な仕事でも、どんなに辛い仕事でも、頑張ってやるべき」という教えがある。
正しいんだけどね。
でも、全然出来ていないのはなぜだろう…?
昔の人は出来たのに、今の人に出来ないのはおかしいね。
生きてくために、つべこべ言わずにやれ!!仕事を選ぶな!!って事ですね。
今の若者に欠けてるのは、そういう根性なんだろうな…。

●政治
ブログでは「若者は政治に関心を持つべき」「まず選挙に行け」というお話でしたが、
私の本音としては、「だって投票したい人がいないんだもの」「関心持ったところで、何も期待できないし」という感じです。
まぁ、確かに「大人としての自覚に欠けた意見」ではあるんですけどね…。
この部分においては「若者擁護」派です(__;)

●講演会
学者や教授は、今は現場を知らないといけない…あるいは、現場の人も「分析」能力が不可欠なのかな…と思いました。
分析は、面白い。なるほど、こういう見方があるんだなぁ~と感心する。
でも、我々の「明日」にどう役に立つのかな…?講演会巡りが好きな私ですが、いつもそんな事を感じています。
実際、当事者自身が有益な情報・具体策・実践法とかが得られる講演会って少ないですよね…。
やはり、支援者の方とか現場の方・研究者向けのものがほとんどですからね…。


以上が、いただいたご意見です。
皆さんからも更なるご意見ありましたら、お待ちしております!

スタッフ 松田 記

土, 2009-01-31 17:43 | saposute

先日、とある大学教授の講演を聞いてきました。若者の労働問題を取り扱ったもので、私たちのような現場の人間は「教授とか研究者とかは、結局のところ現場のリアルを分かってないよな」と言いがちなのですが、ところがどっこい「まさにわが意を得たり」という内容でした。

私たちが普段肌で感じていることを、データや調査をもとにスッキリと表現されていて、とても分かりやすかったので、その中から3点ほど、皆さんにも講演内容のおすそ分けをします。

①自己責任論について
私はよく「無業状態に陥った責任が若者自身にあるかないか」という質問に対しては、「100%彼らの責任でもないし、100%社会が悪いというわけでもない」という答えかたをしています。
講演ではこの考えをさらにクリアにして「自己の社会的責任」という言葉で表現されていました。
平たく言うと、「今の状態に陥っているのは、あなたの責任ではありません。でも、若者がそんな状態に陥るような社会を作っていることについては、あなたにも責任の一端がありますよ」というものです。
前に、若者はもっと政治に関心を持つべきだ!と私も書きましたが、より良い社会を作っていく責任は若者(特に今の社会の生き辛さを肌で理解している若者)にあると言えます。
「自己の社会的責任」というネーミングだけでは分かりにくいのが惜しいところですが、内容に関しては私の言いたかったことをスッキリ表された感じがして、嬉しいやら悔しいやら、でした。


②日本における正規雇用と非正規雇用の違い
これについては、もともと別な教授が発表された言葉だそうですが、両者の違いを端的に表していて面白かったので、紹介します。

正社員は  「membership without job」
非正社員は 「job without membership」

つまり、正社員は組織の一員(membership)として迎え入れられ、とりあえずの安全は保証される。でも、without job なので、明確な仕事は決まっていなくて、そのつど会社に命令された仕事に従事してもらうよ、ということらしいです。
一方で非正社員は明確な仕事(とそれに対する給料)は与えられるけど、without membership なので、そのお給料で本人が生活していけるのかどうかとか、あなたの人生全体については知ったこっちゃないよ、ということ。

で、それの何が問題かと言うと、人にはほどほどのメンバーシップとほどほどのジョブが必要なのに、日本の場合はそれがとても偏っているということだそうです。
正社員は仕事内容も残業も転勤も会社の言いなりにならないといけなくて大変。
非正社員は生活の安全が保証されないうえ、決められた仕事(しかもほとんど単純作業)だけしかする機会がないのでキャリア形成が困難。

これについては、新しい考え方を知ったというよりは、英語で表現すると両者の対比が分かりやすいなと思って、勉強になりました。


③学校と仕事との関係
国際比較においても、日本の学校は仕事と乖離していることが証明されているそうです。
つまり、学校の授業で学ぶコトと、社会に出てから役立つコトとに大きなズレがある。今までの日本社会では、社会に出てから必要なことは会社がイチから教えてくれたし、学校の終わり(3月31日)と仕事の始まり(4月1日)が繋がっていたのでそれでも問題なかったけれど、今の社会ではそうはいかない。
それがなぜ問題かと言うと、在学中に正社員の内定をとってから卒業した人と、そうでない人とで、その先の人生が決定的に変わってくる。仮に敗者という言葉を使うなら「敗者復活」のチャンスがあまりに少ないわけです。
私は、この辺りの問題意識は現場も学者さんも同じなんだなぁと思って聞いていました。


以上、データから読み取る学者さんと、肌で感じ取る現場の私たちとが、意外と同じ考えを持っていることに嬉しくなってしまったスタッフの松田でした。
・・・自分は現場が性に合っていると思っているのですが、実は深層心理で学者への憧れでもあるのでしょうか?!

土, 2009-01-24 13:03 | saposute

今回は先日の講演で私が実際に聞いた、とある登山家の言葉をお伝えします。

講演の中で登山家の方が「山を登っていて最も感動する瞬間はいつか、皆さん分かりますか?」と言われたのですが、皆さん、それはいつだと思いますか?

「当然、頂上に辿り付いた時でしょう!」と思った方、いませんか?
実は私はそう思いました。
でも、その方は(もしかしたらほとんどの登山家は)違うそうです。

いちばん感動するのは、頂上が見えてきて「あぁ、どうやら俺はあそこに辿りつけそうだ」と実感した瞬間なんだそうです。
そこから先は、ただその感動を現実に変えていくための道のりで、それは確かにビクトリーロードのごとく幸せな時間ではあるけれども、最も感動する一瞬は、目標に到達できるという希望を手に入れたときなのです。

同じように、長いあいだ自信を失っていた若者にとって最も偉大な瞬間というのも、頂上すなわち内定をもらった瞬間ではなく、「もしかしたら私も何とか働けそうだ」「勇気を出して求人に応募してみるかな」と思えるときなのかも知れません。
その先のビクトリーロードを伴走するのがジョブカフェやハローワークといった機関の役割だとするなら、その入り口(つまり最も感動する瞬間)へと案内するのがサポステの役割だと言える訳です。
そう考えると、サポステは「美味しいとこどり」ですね、すみません!

サポステには、「働きたい」という言葉の底に「働けるようになりたい」という苦悩を抱えている方が、たくさん来られます。
そういった方々が、ワーカーズファームなどに参加して「どうやら自分も働けそうだ」という希望に辿り付いたとき、それは私たちスタッフにとっても大きな喜びです。

もし、ご自宅等でこのブログを読んでいて、頂上があまりに高すぎて立ちつくしている方がいたら、ぜひサポートステーションにお越しください。
まずは頂上が見えそうなところまで、一緒に歩いていきましょう。

スタッフ 松田 記

木, 2009-01-22 10:20 | saposute

ビッグイシューさっぽろという団体が綴じ込みレターとして発行している「こころの交差点」に、サポートステーション利用者の手記が載りました。
これは、ビッグイシュー誌の流通ボランティアにサポステの若者がジョブトレーニングとして参加している縁もあって、ビッグイシューさっぽろスタッフの方の「若者の声を社会に届けよう」というご厚意で掲載していただいたものです。

以下に転載いたしますので、ぜひご覧ください。(以下、原文まま)

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 僕がこれまで仕事をしたり、ジョブトレーニングに参加して気がついたこと・思っていることについて話し、伝え、みなさんと考えてみたいなと思います。それは「責任」「危機意識」のことです。

 僕は、仕事とジョブトレーニングを分けるのは、最終的な責任のもち方、それに対する個人の自覚の違いだと感じるようになりました。
 仕事をするうえでは、責任をもってやらなきゃいけないと思います。特に、やりはじめたのはいいけどやっぱりできませんでした、ということは通用しないように思うのです。お金が発生するから、そこで責任の重みを感じるっていうこともあります。だからこそ、責任をもつことは、怖いこと・難しいことだと感じています。ジョブトレーニングはある種の保険があるからできる、やれるっていうところがあると思います。保険とは「トレーニングなので、もしものときはまわりの人からのサポートが得られる」という安心感です。もちろん、自分はジョブトレーニングも責任をもってやっています。やっているんだけど、でも、最後の最後のところ、自分が考えるには、最終的な責任のもち方が違うかな、と思います。

 それから、責任といっても、他人や周囲に対して、というものだけではなくて、自分に対しての責任(危機意識)もあるはずなんだよな、と思います。食べるためにっていう意識が高ければ、いやなことに対してももう少し前向きになれると思います。

 僕の意見はこのようなものですが、みなさんの意見はどうでしょうか?

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皆さんはどのように感じましたか?
ビッグイシュー誌の綴じ込みレター「こころの交差点」には他にもさまざまな特集が載っていますので、気になる方はぜひ街頭で雑誌を買ってみてくださいね。
サポステスタッフ 松田 記

月, 2009-01-19 14:03 | saposute

いつもご愛読ありがとうございます、スタッフの松田です。
(と言いつつ、果たして読者はいるのでしょうか・・・ご感想ありましたら、ぜひサポステまでメールお寄せくださいね)

いつ頃からか、私は通勤の車中ではNHKラジオを聴くようになりました。私の年齢は四捨五入すればかろうじて30代前半なのですが、カーステレオからシャレた音楽じゃなくてNHKから流れてくるというのはちょっと考えものですね。
という反省はさておき、最近は国会中継がアツいです。
政策どうこうはここでは控えますが、雇用の問題に付随して若者の就労問題などもしばしば聞こえてきます。

私は常々、若者はもっと政治に目を向けるべきだと思っています。
私たち現場の人間は確かに目の前の人の力になることができますが、より多くの人を幸せにするには、政治をとおした仕組みづくりが不可欠です。
幸い日本には全ての成人が政治に関わることのできる「選挙」という制度があります。他にも、「ブログや著書を通じて意見を言う」「デモなどの人目を引くような行為をする」といったダイレクトな訴え方もありますが、やはりまずは選挙に参加することが大事だよな、と国会中継を聞いていてしみじみ思います。

ちなみに先月行ったドイツでは、行政と現場の意見交換や連携が非常に良くとれているという印象を持ちました。この連携についてはドイツの現場の担当者も、行政担当者も、それぞれが胸を張って言っていました。
現場は行政にきちんと状況を伝え、理解を得て、要請する。行政は現場の声を聞き、仕組みを作り、現場をバックアップする。
そんな関係を羨ましく思うと同時に、私たち現場の人間がもっと力をつけなくては、と襟を正す思いでいます。

金, 2009-01-09 11:52 | saposute

あけましておめでとうございます。
2009年もサポステをどうぞよろしくお願いします。

さて、新年一発目はスタッフの松田が書かせていただきます。
私は先月、「青少年支援に関する日本とドイツの協同研究」で2週間ほどドイツに行ってきましたので、その報告を兼ねて今回のブログを書きたいと思います。

ドイツに行って驚いたことの一つにセーフティネットが非常に充実していることがありました。
一例を挙げると、失業者のための給付金(失業手当)が2種類あり、「失業手当Ⅰ」といって、日本と同じように雇用保険加入者が失業したときに一定期間給付されるものに加えて、60歳までの働く意欲のある人なら誰でも毎月約5万円もらえる「失業手当Ⅱ」というものがあります。
2005年から導入されたこの制度があるから、誰でも就職活動をするうえで最低限必要な生活費が保障されているとのことです。

非常に素晴らしい制度のように思えますが、日本で導入しようとすると当然、さまざまな問題にぶつかります。
ではなぜドイツでそれを実現できたか。実際に私がドイツでいろいろと質問してきたので、その回答をもとにお伝えします。

①「失業は自己責任ではない」という考え方
これは当たり前の話ですが、人間の数と働き口の数は一致していません。椅子とりゲームと同じで、誰かがそこには座れないのです。
座れなかったからといって、全て本人が悪いとは限らないし、次は自分が座れない番かも知れない。そのための社会保障(セーフティネット)は当然必要である。ドイツにはそういう考えが根付いています。
このように失業を止むを得ないこととして捉える根底には、移民背景や旧東西ドイツの経済格差などの社会情勢が日本と異なることも要因として考えられますが、いずれにせよ、本人の努力だけで解決できる範囲には限界があるのは間違いありません。

②働く意欲があるかどうかは訓練の参加状況で判断する
これは日本もドイツも同じですが、「意欲があるけど不幸にも働けていない人」と「働く気がない人」とは明確に区別されます。
日本の場合は、「その気になれば働き口はいくらでもあるのだから、働いていないイコール働く気が無い」と判断されることが多いように思います。もしくは、それぞれの主観で「あいつはやる気があるのにかわいそうだ」とか「あいつは怠けているだけだ」と言われていることもあります。
一方ドイツでは、先に書いたとおりそもそも就職口が人数分は存在しないという考えなので、意欲に関係なく無業の人は存在するという前提です。また、学校段階でのつまづき(不登校など)によって、就職の機会を奪われている人がいるということも事実として受け入れられているように思われます。
では、無業状態の人のうち、働く意欲があるかどうかをどこで判断するか。
それは「職業訓練に参加しているかどうか」だそうです。
職業訓練といっても内容は様々で、
・ハローワークのようなところで求職活動をする
・実際に企業でジョブトレーニングをする
といった実用的なプログラムから、
・同世代のグループで毎日集まって炊事・食事をする
・アート作品をグループで協力して決められた期間内に完成させる
といったサポステと同じようなプログラムまで幅広く存在します。
そしてもちろん、どのプログラムでも参加している人には同じ額の失業手当Ⅱが支給されています。

③「働くことは喜びである」という発想
先に書いたとおり、ドイツでは訓練(サポステのようなところも含む)に参加していれば一定額の手当が支給されます。言い換えれば、協同炊事などに「実は働く気が無いけれど受給目的で参加する」こともできるわけです。
これについてドイツの担当者に質問したところ、「そういう若者もゼロでは無いが、最初の動機がどうであれまず訓練に参加してもらうことが非常に重要である。彼らも訓練に参加しているうちに働く喜びを知り、必ず意欲が芽生えるし、それこそが我々プロの支援者の役割である。」との答えが返ってきました。サポステスタッフとして、この言葉は胸に響きました。
これには「全ての職業は神から与えられるものであり、働くことは喜びである(職業神授説)」という宗教的な背景もあるため単純に比較はできませんが、あえて簡単に書くと
<日本>
(働いている=辛いけど耐えている)&(働いていない=楽して怠けている)
⇒働いていない奴らに働いている人の税金を使われたくない!

<ドイツ>
(働いている=喜び、充実)&(働いていない=不幸、明日は我が身)
⇒いま働けている人たちが社会全体の費用負担をしていこう
といったところでしょうか。


長くなったのでここらでいったん終えますが、「失業者をいかに減らすかだけではなく、失業という社会問題を“やむを得ない痛み”として捉え、社会全体でこの痛みとどう付き合っていくか」という考え方は非常に勉強になりました。
これらの学びを活かして、今年もサポステに来る若者たちと共にがんばっていこうと思います。

本年もどうぞよろしくお願いします。

木, 2008-11-27 17:57 | saposute

長らく放置されていたタスキですが、松前に住む読者からのリクエストもあり、再開させていただきます。最初に戻って、スタッフの松田です。

最近、サポステを利用している方から「知人にサポステのことを話したら、怪しい宗教団体もしくは政治・思想団体じゃないの?と言われた」というお話を聞きました。
もちろん私自身はサポステは宗教・政治・思想いずれも中立であると思っているのですが、この中立であることって実はとっても難しいなぁと改めて考えさせられました。

そもそも何をもって中立とするか、誰がそれを判断するか、によっても変わってきますし、極端なことを言えば人や組織が何らかの意志を持った瞬間にそれは完全にニュートラルな状態ではないわけです。

少し話はズレますが、例えば
「20代の後半にもなれば働いているのが普通」
「何事もまずは挑戦してみないと!」
「人はできるだけ社交的であるべき」
といった“何となく正しそうな価値観”も、時に偏見となって人を攻撃することがあります。

意志を持って人と接することと、偏見を捨てて人と接することとの両立。
ニュートラルな状態で人の前に立つって難しいものです。