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絶望の反対語はユーモアである

月, 2015-02-02 22:21 | saposute

親愛なる皆さま、こんばんは。
「ブログ読んでますよ」の言葉にいつも元気をもらっています、スタッフの松田です。

さて、今さら正月の話で恐縮ですが、実家での父親との一コマを今日はお伝えします。

父(突然)「おい、年寄りには教育と教養が必要やって知ってたか?」

私(また急によぅ分からんこと言い出したなぁ。めんどくさ、と思いながら)「うん、そうやね」

父(さらに身を乗り出しながら)「なぁ、教育と教養って、どういうことか分かるか?」

私(「ねぇねぇ聞いて聞いて攻撃」か!女子か!と思いながら)「・・・どういうことなん?」

父(ドヤ顔で)「教育っていうのはなぁ、『今日、行く』っていう意味や。教養っていうのは『今日、用』や。つまり年寄りには、今日行くところがあって、今日用事がある、それが大事らしいんや」

私(なるほど!意外とオモロイけど、素直に認めるんもくやしいなぁと思いながら)「なるほどね。でもそれって、リタイヤしたシニア層だけじゃなくて、伸びしろがいっぱいある子どもや若者にこそ必要なんちゃう?」

父(典型的な70代男性の顔して)「いやいや、放っておいても子どもには学校があるし、若い人は仕事があるやろ。年寄りにこそそれが必要なんや。」

とまぁ、こんな感じです。

私も正月休みモードなので、若者世代を代弁して争うことはせずにこの話題を切り上げましたが、終身雇用や定年延長で「教育と教養」を保障されてきたシニア世代に「さらに活躍の場を」となると、そのぶん若者の雇用が割を食ってしまうのではないかと心配になります。

これ、なかなか難しい問題です。

もちろん、限りある雇用の椅子を世代間で「奪い合う」のではなく、新たな椅子を増やす(経済の発展)ことに、みんなで取り組んでいく必要があるのは言うまでもありません。

とは言え、やはりある程度は「どこかに光が当たれば、どこかが影になる」のが現実ですから、シニアが厚遇されて若者が割をくうこともあれば、逆に高齢者への社会保障を削ってでも子育て支援に回そう、という話になることもあります。

これを突き詰めれば(いずれもっと詳しく書きたいと思いますが)「民主主義」の話にたどり着きます。
だから、若者世代が今や弱者であることに気付いた若者支援関係者たちは「若者よ、選挙に行こう!」と呼びかけるわけです。

でも、冷静に考えれば、全ての若者が選挙に行ったところで、結局のところ多数決(選挙)ではシニアに勝てません。
実は私たちも、それに気づいていながら「選挙に行こう!」と若者に呼びかけています。

なぜなら、若者にとって大切なのは、多数決に勝つことではなく、民主主義の舞台に上がることだからです。

民主主義の舞台に上がるということは「自分の考えを明らかにし、自分とは考えの異なる人たちの意見も聞いたうえで、みんなが幸せになれる方法を考える」ことです。

そして、その「考える力(知性)」を養う訓練こそが、教育です(教育と、今日行く、の両方かな)。

だからやっぱり、「教育」が必要なのは、シニア層よりも若者なんです。

とは言え「教育と教養」のネタはシニア代表の父親に先に言われてしまったので、そのままパクるわけにいきません。

対抗して若者に必要なのは、、、「ユーモア」でどうでしょうか。

ユーモアとは、価値観の違う他者を受け入れる包容力。

ユーモアとは、厳しい現実社会を前向きに語る明るさ。

そしてユーモアとは、少数派だからこそ、もっともっと自分たちの声を社会に伝える「言う、more」。

・・・う~ん、単なる出来の悪いダジャレですね。

厳しい時代を生き抜くために、若者に何が必要かと言われれば、「教育と教養」よりも「ユーモア」を推したいところですが、「今日、行く」と「言う、more」のネタ対決では、完全に負けています。

と言うことで、やはりこれから私が講演するときは「皆さん!若者には教育と教養が必要なんですよ~。教育と教養、何か分かりますか?ねぇねぇ分かる~?」ってな感じで、使わせてもらいます。

さっぽろ若者サポートステーション(札幌市若者支援総合センター)が、皆さんの「教育と教養」、そしてユーモアのあふれる場になれますように。

スタッフ 松田考