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あえてフリースクールを語る

土, 2010-06-12 13:40 | saposute

スタッフの松田です。いつもながらご無沙汰しております。

昨日、フリースクール関係のシンポジウムに出席してきました。
フリースクールに通っている方の体験談などを聞かせてもらいながら、フリースクールの必要性を改めて実感させられました。

人が幸せに生きていくためには、子どものうちに身につけておいた方が良いことがあります。
大人には、子どもたちがそれを身につけるための機会を提供する義務があります。(この責任のことを義務教育と呼ぶのだと思います)
学校というところは、子どもたちが多くのことを身につけるうえでも、大人たちが義務教育という責任を果たすうえでも、とても良く出来たシステムです。実に効率的です。
もし私が大臣なら「子どもたちはみんな学校に通いなさい。なぜなら君たちが順調に学校に通ってくれれば大人たちはホッとするんだ。おまけに、多少ガマンしてでもそこに通うことで、忍耐力も身につくんだぞ。なっ、いいから通いなさい。」と言うでしょう。

でも大臣でない私は、学校が「義務教育を実現する唯一の舞台」である必要はないと思っています。

学力や社会性を身につける場が、学校以外にあってもいい。
人が育つきっかけが、学校以外にもゴロゴロ転がっている社会がいい。
それを面倒くさがらない大人がたくさんいたら、それがいい。

そんな風に思っています。

そういう意味では、シンポジウムの司会の方が「フリースクールを語るときに、どうしても学校の話題が出る」という問題提起をしていたのもとても興味深かったです。

その言葉の私なりの解釈は「たくさんあるべき学びの手段のうちの一つが学校であり、別の一つがフリースクールであり、そのまた別のものがたくさんあって良いはずなのに、絶対的な学校という存在に相対するものとしてフリースクールが位置づけられていることへの歯がゆさ」です。

学校に対抗するためではなく、一つの学び方(子ども時代の過ごし方の一つ)としてフリースクールがあるはずなのに、フリー“スクール”という名前がそもそも学校の存在感からフリーになっていないというのも皮肉です。
そう考えると、フリースクールによく学校っぽい名前がついているのも、なんだか勿体無いですね。

などなど、今回はあえて自分の専門フィールド以外のことを書きました。
素人が専門家の領域を語ることはとっても失礼だというのを重々承知であえて書かせていただきました。

それは実は、上の文章を
子ども→ 若者
学校 → 企業
学び → 労働(あるいは社会貢献) と置き換えたときに、
フリースクール → ?? 
というのを問題提起したかったのです。

子どもは、学校に通えなければフリースクールという学びの場があります。
若者は、企業に採用されなければどこで労働(あるいは社会貢献)の機会を保証されるのでしょうか。

ふぅ、やっと本題にたどりついた・・・。

続きはまたいつか → スタッフ 松田でした!