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ラジオで喋ってきました

土, 2010-02-06 21:54 | saposute

昨日、札幌市西区琴似というところにあるコミュニティFM局にお招きいただき、1時間半ほど生放送でお話ししてきました。
と言っても、こちらからはスタッフ3名で行き、途中で音楽やCMも入るので、ずっと私がベラベラ喋っていたわけではありませんが。

番組の内容は、「NEET問題を考える」。
パーソナリティは北海道大学の先生とコミュニティカフェの店長さんのお二人で、いろいろな質問を私たちに投げかけていただく形でトークはすすみました。

その中でとっても印象に残ったのは、北海道大学の先生が仰っていた「働いていない」ことと「働いている」ことの間に、それらを繋ぐもっと小さな段階があるべきだ、ということ。これは私も全くの同感で、例えばボランティアや地域活動などがそこに該当するわけですが、これらは実際に仕事に向かうための段階的なトレーニングとしても取り入れられていることが多いです。

さらに言えば、ちょっとニュアンスは違ってくるかも知れませんが、今の世の中では「働いている」か「そうでない」かがあまりに大きな違い、重要な問題になっているなぁと感じることがあります。
そしてそれがそのまま個人の人格までも評価するモノサシになっていることが多いです。

例えば同窓会で「君はいま何をやってるの?」と聞かれたら、「うん、いま同窓会に出席してるよ」と答える人はまずいなくて、「いま、○○の仕事をしてるよ」と答えるのが“常識”になっています。
これはつまり、ある年齢層の人間にとって、その人が何者であるか、ということの大半を、その人がどんな仕事をしているか、が占めているわけです。
そして周りからの評価も、このことによって非常に左右されるのです。
(だから無業状態にある人の多くは、同窓会にも行けずに交友関係を絶ち、孤立し、場合によっては社会から“引きこもる”リスクを負っているのだと私は思っています)

もちろん、サポステには「何とかして働きたい(働けるようになりたい)」という気持ちで来られる方がほとんどですので、こちらも精一杯そのお手伝いをしているつもりですし、「働こうがそうでなかろうが、そんなの大したことじゃないよ」とは言いません。実際に当人や周りの人にとってそれが大きな問題であることも、重々理解しています。
でも、それにしても「働いている」「いない」の境目があまりに大げさに取り扱われているような感覚は、常に持っています。
そしてこれはむしろ当事者である若者自身ほど、過重に評価しているようにさえ思います。

こういった考えについては、文字表現の限界もあってどうしても誤解を招きかねないので、これ以上ここで深入りはしませんが、そんなことをパーソナリティの北大の先生の言葉を聞いてから、ラジオの本番中に思っていました。と同時に「おっこれはブログに書けそうやな」なんてこともCM中に考えたりもしてました。
一緒に行ったうちのスタッフはとっても緊張していたのに、私は実はそんなことを考えながら喋っていました。ごめんね。

何はともあれ、ラジオ出演なんて人生でそうあることでもないし、とっても良い思い出ができました。後になって思えば、録音でもしとけばよかったな。
でも、自分の声って、録音して改めて聞くと、自己嫌悪になりますよね。
(自分の文章もそうなので、あまり読み返さないようにしています)

追記)このブログに書いている「仕事観」などは全て私個人のものであって、北海道若者サポートステーション全体のスタンスというわけではありませんので、ご理解ください。

スタッフ 松田考